うたた寝=君が目覚めるまで…

―或は、声に出さないLoveLetter

 

 ふう…

 美樹の奴、やっと帰ったな…

 あいつはなんだな、この頃は、噂好きや出歯亀趣味というよりは、殆どやり手婆化しているぞ…担任として、大いに心配だ。

 俺がゆきめと出かけるのが、一体あいつのなんの役に立つんだか?

 いい加減に、あの情熱を勉強に向けて欲しいもんだ。

 おかげですっかり遅くなった。ゆきめ、待ちくたびれて、怒っているんじゃないかな?

 

 なんだ?宿直室、いやに静かだな。

 ひょっとして怒って帰ってしまったのか?

 いや、だったら俺に一言言っていくはずだ。彼女が黙って帰るはずがない。

…?…

 なんだ…襖の陰で壁に寄りかかって眠っている…

 待ちくたびれたんだな。

 ごめんよ、こんな火の気の無いところに何時間も居させて…と、雪女なんだから、寒いほうが良いのか?

 人形抱えて丸くなって、まるで仔犬みたいだな。

 また俺の人形だ。これ、新しいやつか?

 持ってきたって事は、出来が良かったんだな。…眉毛のあたりが、よく出来ているようだから…

 ま、いいか。とりあえず起こして出かけよう。

………

 うーん…

 気持ちよさそうだなぁ。なんだかすぐ起こすのも可愛そうだ。

 そうだな。今まで待たせたんだから、今度は俺が待つか…

 

 …こうして見ると、本当に美人だよな…

 こんな可愛い子が、俺なんかのどこが良かったんだ?

 考えてみると、不思議な縁だな…

 

 あの日、道に迷って…というよりは、半分遭難しかかってたな…猟銃の発砲を耳にした。

 禁猟区だったから、密猟かと思って見に行ったんだ。そして、幼い少女が、銃の的にされている現場にでくわした…

 猟師が村の掟とかを呟いていたが、そんなもの聞いちゃあいなかった。ああなるともう条件反射だな。気が付いたら猟師のオヤジを殴り倒して銃を放り捨てていた。

 あのオヤジも気の毒に、あの人にとって、雪女は村に害を成す恐ろしい妖怪だ。

 だが、俺にはただの女の子にしか見えなかった。命の危機に怯える子供だ、見殺しになんてできる訳が無い。

 気を注いで、元通りになったときの嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。

 ああ、そうだな。あの日から、雪を見る度にあの笑顔を思い出していた…

 だから、だな。

 別れ際の恩返しの約束通りに、君がやって来た時、愛しているとか、好きだという言葉が、ただの感謝の気持ちから錯覚しているんだと思い込んだ。

 人間と妖怪。まったく相容れない異種族同士だから、彼女の気持ちも一時的なものだと…

 一体何を見ていたんだか…

 君は何時の間にか俺の心の中に住みついていた…理屈で意地を張って拒絶を続ける俺に、変わらない気持ちをぶつけてきた。

 もっと早く自分に気が付いていれば……畜生……

 

 だいぶ日が傾いてきたな…

 あ?窓から差し込む光が、直接髪に当たっている…人間の髪と違って、半分透き通っていて綺麗だ…

…触っても良いかな…?

 柔らかい髪だ…細くて軽い。そのくせ氷のようにシャラシャラと音をたてる。

 融けない氷。

 

 大丈夫。

 消えたりはしない。

 君は此処に居る。

 時々、無性に不安になる。腕の中に確かに抱きしめていた体が、雪が融けるように消えていった、あの時を思い出して…

 まったく、神経質になりすぎだ。

 だが…君を守りきれなかった事は、俺には一生消えない傷だ。

 これは絶対口にする気は無い。俺が心の中で持っていれば良い。君も俺も、二度と、あんな思いをしない為に…

 はは…格好付け過ぎかな?

 

 ん…?なんだか今、嬉しそうな顔したぞ…俺が触ったからか?

 まったく…無防備な顔をして…かわいい…よ…

 

 う…

 しまった、つい…

……起きなかったよな…?

 前髪くしゃくしゃにしちまった…ごめん…

 

 なぁ、親父。

 親父のお陰で、俺はゆきめと共にある。

 親らしいこと何もしなかったって言いながら、一番親らしいことをしてくれた。

 ついでに親孝行の一つもささせてくれないのは、実に親父らしいよ。

 親父が俺の事を愛してくれたように、親父が鎮めてくれた山の神もまた、ゆきめを我が子として愛していたんじゃないんだろうか?

 掟に逆らったゆきめの身体を再生し、以前とは違う心を入れた。

 今だから判る。あれは、親心だ。

 ただ掟を破った者への制裁なら、再生などしはしない。

 別人の心を与えたのも、再び妙な男に引っかかって、不幸にならないように、と考えたんだろう。

 親ならそう考えてあたり前だ。子供の幸せを望まないなんて、滅多に居ないはずだ。

 でも、俺達はまた出合った。

 山ノ神が怒るのはあたり前だな…

 親父が居なかったら、今ごろどうなっていたか。

 

 俺も君も、大きな犠牲の上に立っている。どちらの親にも、感謝し足りない位だ。

 だから、一緒に居よう。

 二人で幸せを作っていこう。

 具体的に、何て聞くなよ。俺にもよく判ってはいないんだ。ただ、二人で笑い合える時間を、幸せだと思える時間を増やしていこう。

 なんてな…

 プロポーズは…指輪が買えるぐらい俺に甲斐性が付くまで、待っててくれ。

 

 おい…そんなふうに仰向くなよ。

 唇が軽く開いて、まるで誘っているみたいに見えるぞ…

 え?…寝言か、『ぬえのせんせい』…俺の名前……

……

 う・・ん。やっぱり、こういうのは卑怯…だよな。

 俗にいう寝込みを襲うってやつだ、うん。

 しちまってからいうのも何だがな…

 

 限界だな。日も翳ってきたし。

 理性があるうちに出かけよう。

「ゆきめくん」

 軽く揺すると、大きな目がぼんやりと開く。

 ああ、またこの瞳を見ることが出来た。実の所、そう思う度に嬉しくなるんだ。

 俺を見止めて少し赤くなる仕種も愛しい。いいのか?目の前に居るのは狼になり掛けだぞ。

「あ、先生…すみません、眠ってしまって」

 そんなこと気にするわけ無いだろう?

「俺の方こそ、待たせて悪かった。さあ、行こうか?」

 差し伸べた手に、ひんやりした細い指が絡む。

 この手を、俺から振り解くことは、もう無い。君はそれを知っているんだろうな。

 にっこりと、花が開くように頷いてくる。

「はい」

 

 

END     

 

 

 

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